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都市河川学会

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15年目の押井守

15年前の今日、1998年7月28日に『前略、押井守様。』という私の編著書がフットワーク出版から出ました。
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そのころの私は、それまでやっていた仕事(TV-CMの制作進行)を辞めて、フリーで企画演出をやります宣言をして、なぜかそんなタイミングで結婚が決まり子どもも産まれてと、激動の数年間でありました。メインの執筆作業はCMの制作進行をやりながら進めていたのですが、最後の仕上げの3ヶ月ほどはこれにかかりっきりで、その間はもちろん無収入。新婚さんでよくあんなことができていたものだと怖くなります(そのせいかどうか知りませんが、4年前に無事に離婚いたしましたw)。

当時は今ほどアニメーション関係の研究本が多く出ている時代ではありませんでした。19941995年(ご指摘があり修正しました。すみません)の『新世紀エヴァンゲリオン』あたりからアニメや特撮のジャンルでも「研究本」の類いの書籍が出るようになり、前年の1997年に氷川竜介さんの『20年目のザンボット3』が出版され、ようやくそうしたジャンルの書籍が出始めるようになったばかりの頃でした。



もちろん、私はアニメーションライターをやっていたわけではありませんし、出版関係のそうした実績はほぼゼロでした。唯一、大学時代の先輩が「一緒にやらない?」と持ちかけてくれて参加した共著『必殺! 裏稼業の凄い奴ら』(1994)『さらば必殺! 裏稼業の凄い奴ら』(1996)があるだけです。


この時はちょうどサザエさんに始まる「謎本」ブームの頃で、続編が出たことからもわかる通りこの本はそこそこ売れました。出版社のフットワーク出版(当時)は、もともとオタク系に強かったわけではなく、謎本ブームに乗って試しに出してみたという感じでした。しかしながら編集さんはもっとこの手の本を出したかったと見えて、共著のメンバーに「何か他にこういうマニアックな本が書けるネタ、ありませんか?」と声をかけていました。私は大学の卒論で「押井守論」を書いていたこともあり、何の気もなく「押井監督の本なら」というぽろっと提案したところ、『機動警察パトレイバー』や『攻殻機動隊』で押井監督の名前が広く知られ始めていた時期でもあったためか何故か企画が通ってしまい、何の実績もない30目前のにいちゃんが本を一冊作ることになってしまったのでした。

そのときの私は、自分の原稿を世に出したい、という思いももちろんありましたが、もう一つ「押井監督の可能な限り詳細なフィルモグラフィーを作りたい」という野望がありました。押井監督の言うところの「獲得目標」です。そこで、当時(というか今でも)日本のアニメ関係のデータ収集の第一人者である、データ原口こと原口正宏さんにデータのまとめをお願いしたところ、ご快諾いただくことができました。
もちろん原口さんは元々ある程度のデータはお持ちでしたが、いくつかわからないところ(タツノコプロ〜スタジオぴえろ時代)があるとのことでしたので、調査作業には私も参加させていただきました。その過程で『名犬ジョリイ』や『まいっちんぐマチコ先生』の押井演出回のビデオを入手すると言う役得もありました(笑)。

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あの時期に押井監督の本を出したと言うのは、上記の通り全くの偶然のタイミングだったのですが、振り返ってみると、ちょうど押井監督の転機となった時期だったように思います。そういうことも含めて、まあ私はラッキーだったと言うしかありません。

この本で、押井監督にインタビューを録りに行ったのが、当時は荻窪にあったデジタルエンジンスタジオ。映画「ガルム戦記」の制作母体となっていたスタジオです。その「ガルム戦記」は紆余曲折あって完成することなく企画そのものが塩漬けとなりました。映像がデジタルによって技術革命を起こし、制作方法だけでなく思想的転換を余儀なくされる時代を予見して「すべての映画はアニメになる」と高らかに宣言した押井監督。「ガルム戦記」亡き後、「Avalon」「イノセンス」を経て、アニメーションのみならず映像全般がデジタルで変質して行く時代を実際に経て、いまちょうど押井監督は件の「ガルム戦記」のリターンマッチを戦っています。


私の考えでは、押井監督のフィルモグラフィーに於ける最初のターニングポイントは「GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊」です。そしてその次のターニングポイントは恐らく、現在進行中の「ガルム戦記」…ではなく「The Last Druid:Garm Wars」であるはずです。であるならば、押井監督のこの15年、すなわち「ガルムの15年」をまとめるのにふさわしいタイミング…なのかもしれません。

映像製作を取り巻く状況はこの15年でドラスティックに変化しました。
押井監督もこの15年間で大きく変わりました。
そして私自身も…『前略、押井守様。』を出版して以来、ありがたいことに押井監督とお仕事をする機会に恵まれるようになりました。毎年一回トークイベントを主催することになったり、押井監督の語り下ろしで雑誌連載や単行本の出版をしたり、押井監督の映画のメイキングを担当したり…押井監督を学園祭に招いた1989年の22歳の大学生の私に伝えたら、失禁して気絶しそうな現在の状況です。
そして、長い時間押井監督と直に触れ、言葉を聞く量は膨大に増えて、影響を受ける量も質も飛躍的に増えて、語るべき思いも積もってきているようにも思います。一方では、押井監督と近くなってしまったが故に、距離をとって何かを語ると言うのも難しい状況であるとも感じています。

そんな私の悶々とした心境を知ってか知らずか、押井監督は「野田君もいい加減に(押井監督の語り下ろし本ではなく)自分の名前で本を出しなさい」と私に言うのでありました。

というわけで、前置きが長くなりましたが、押井監督に関する文章をこの機会に久方ぶりにまとめようと思っております。もちろん思い立っただけで具体的な内容等はまだ何も決まっておりません。皆さまにおかれましてはあまり期待せずに生温かく見守っていただければ幸甚です。
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  1. 2013/07/28(日) 21:46:41|
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